「コープランド・オン・ミュージック」を読む

Doubleday & Company社の「コープランド・オン・ミュージック」を、原文と日本語訳の両方を見てゆきます。

「マルサリス・オン・ミュージックを読む」第13回

第13回:鑑賞の手引き 

 

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第1章 思わず足踏みをするのはなぜだろう:リズムについて 

 

くるみ割り人形組曲  

ピョートル・イリイッチ・チャイコフスキー作曲 

デューク・エリントン、ビリー・ストレイホーン編曲 

 

チャイコフスキーが「くるみ割り人形組曲としてまとめ上げたこの音楽。元は、同名のバレエ「くるみ割り人形」のために作られたものです。このバレエは、フランス出身の大舞踏家、モーリス・プティパが振付を担当し、1898年12月、ロシアのサンクトペテルブルクで初演されました。バレエは大成功。その理由は、魅力的なメロディもさることながら、そのプロモーションに秘密が!チャイコフスキーは、バレエの初演に先立ち、その使用曲の中からベストセレクションを演奏会用組曲として発表。これをコンサートで聴いた観客が、バレエの初演に際しては、耳慣れた状態になっていた、と言うわけです。おとぎ話のようなストーリーを持つこのバレエ。くるみ割り人形の王子様が、兵士達を率いて、怪獣ネズミ大王に勝利します。その後、クララと、見知らぬ世界の国々から人々や風物が集まる「お菓子の国」を旅するというものです。このバレエは国境や民族を越えて人々に愛され、特にクリスマスの時期によく上演されます。数あるバレエの中でも、最も多くの人々が見たことのある作品ではないでしょうか。 

 

(語句・文法の要点:数字は行数) 

1.Tchaikovsky wrote the music in The Nutcracker Suite for a ballet called The Nutcracker, which was choreographed by the great French-born dancer Marius Petipa and first performed in St. Petersburg, Russia, in December 1898チャイコフスキーが書いた音楽である「くるみ割り人形組曲は「くるみ割り人形」という名のバレエのためで、このバレエはフランス生まれのダンサーであるモーリス・プティパによって振付が成され1898年12月にロシアのサンクトペテルブルクで初演された:過去分詞(called) 関係詞・非制限用法(The Nutcracker, which) 5.The ballet was a great success, not only because of its attractive melodies but also because Tchaikovsky had put the best tunes from the ballet together in to a concert suite, so that concert audience became familiar with them even before they saw the balletバレエは大成功だった。理由は魅力的なメロディだけでなくチャイコフスキーが、バレエを見る前に演奏会の聴衆になじませるためにチャイコフスキーが前もって選りすぐりの曲をバレエの中から演奏会用組曲へと集めていたからである:not only A but also B(not only because but also because) 過去完了(had put) so that 節(so that concert audiences became) [p.142,3]The Nutcracker has probably been seen by more people around the world than any other ballet「くるみ割り人形」はおそらく他のどのバレエよりも世界中の人々によって見られたことがある:現在完了(has been) 比較級を用いた最上級表現(more than any other ballet) 

 

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チャイコフスキーの「花のワルツ」は奇数拍(3拍子)のリズムであるのに対し、デューク・エリントン版の「フローラドール達のダンス」は偶数拍(4拍子)のリズムです。チャイコフスキーデューク・エリントン、二人とも基本的に同じ節(ふし)、つまりメロディを使って作曲しています。さて、ここで耳を働かせて、リズム(拍、アクセント、休符)を構成してゆく様子を捉えてみましょう。チャイコフスキーは3/4、エリントンは4/4となっています。 

 

それから、チャイコフスキー作曲の「行進曲」と、エリントン版の「ビーナッツ・ブリットル・ブリゲート」。どちらも偶数拍のリズムです。このリズム、パレードでは役に立ちます。ま、当然ですよね。行進して歩いている人達の足の本数は、大概偶数の二本ですから。「ピーナッツ・ブリットル・ブリゲート」のソロの部分を聴いてみましょう。ここは作曲したエリントン自身がピアノで弾こうと書いた部分で、リズムも、第1章本文で触れた、行進するような、弾むような、飛ぶような、くすぐるようなものが出てきます。更には、曲の終わりの部分に出てくるシンコペーションも聴き所です。エリントンが、偶数拍のリズムと奇数拍のリズムを、その出だしでつなぎ合わせることで作り出したものです。 

 

(語句・文法の要点:数字は行数) 

18.Listen for the solo section of “Peanut Brittle Brigade,” which Ellington wrote for himself to play on the piano, with its marching, bouncing, flying, and tickling rhythms「ピーナッツ・ブリットル・ブリゲート」のソロセクションを聴こう、これはエリントンが自分でピアノで弾くために書いたもので、行進するような、弾むような、飛ぶような、そしてくすぐるようなリズムを伴っている:関係詞・非制限用法(Brigate, which) 不定詞(to play) 現在分詞(marching, bouncing, flying and tickling)  

 

テンポの違いは曲の雰囲気を変えます。チャイコフスキー作曲の「ロシアの踊り」(トレパーク)と、エリントン版の「ボルガ・ボウティ」。使っているメロディは一緒でも、チャイコフスキーの方はエキサイティングに速く、エリントンの方はスウィング感を効かせてゆっくりと。どうです?テンポの違いが曲の雰囲気に与える影響、聴いてわかりますよね? 

 

(語句・文法の要点:数字は行数) 

25.Different tempos are what make Tchaikovsky's “Russian Dance” different from Ellington's arrangement of it (”The Volga Vouty”)異なるテンポがチャイコフスキーの「ロシアの踊り」とエリントンのアレンジである「ボルガ・ボウティ」異なるものにしているものである:関係詞(what) make+O+C(make Dance different)  

 

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エリントン作曲の「シュガー・ラム・チェリー」。チャイコフスキー版の「金平糖の踊り」の編曲版です。曲の冒頭で、ドラムスが基本リズムを演奏します。チャイコフスキー版で、ピチカート(弦を、弓ではなく手を使い、弾いて音を出す方法)をするコントラバス。やっていることは、エリントン版のドラムスと同じ、いわゆる「肉体労働」です。この様子を聴いてみましょう。それから、基本リズムが曲の雰囲気の決めてとなる、ということについては、エリントン作曲の「トゥト・トゥト・トゥティ・トゥト」、そしてこの曲のチャイコフスキー版である「葦笛の踊り」を聴くと分かります。この二曲とも、ブリッジの部分で(第2章参照)、音楽に変化が生じることにも注目しましょう。基本リズムがそのペースを、そしてメロディがその調を、それぞれ、変えてくる所だからです。 

 

シンコペーション(予想外の音楽の展開に持ってゆくこと)、エリントン版のチャイコフスキー作曲の「くるみ割り人形」は、これに尽きます。最初の序曲から最後の曲まで、チャイコフスキーのメロディを基にして、テンポやリズムに予想もつかない変化を加え、後打ちや意外性たっぷりのアクセントのつけ方をしています。 

 

(語句・文法の要点:数字は行数) 

16.Syncopation - doing the unexpected - is what Ellington's arrangement of Tchaikovsky is all aboutシンコペーション、予想できないことをすること、エリントンによるチャイコフスキーの編曲の全てである:動名詞(doing) 過去分詞・名詞的用法(the unexpected) 関係詞(what) 

 

ピョートル・イリイッチ・チャイコフスキー:21ページ参照 

 

デューク・エリントン(47ページからの続き) 

 

ストレイホーンとエリントンとは生涯音楽活動を共にし(デュークは1974年に75歳で他界)、全米そして全世界をバンドと共にツアーで回り、自分達の作品を演奏しました。超一流のジャズミュージシャン達がバンドに参加し、バンドの規模も時に18人から20人にまで拡大してゆきます。1943年から1952年まで開催された、カーネギーホールでの年に一度のコンサートは、いつもチケットは完売でした。 

 

(語句・文法の要点:数字は行数) 

27.He and Ellington spent the rest of their lives (Duke died in 1974, aged seventy-five) touring the United States and the world with the band, playing their own compositions彼とエリントンは彼らの残りの人生を(デュークは1974年75歳で亡くなった)全米と全世界をバンドと共にツアーで回り、彼ら自身の作品を演奏した:分詞構文(aged) (touring playing) 

 

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エリントンは、プロとしてスタートした時からすぐに、凄まじい創作力を現しました。エリントンの新しいことに取り組む、その凄さは、今なお、新しい発見がされていますが、極め付きは何と言っても、エリントンは様々な音楽形式を扱い、再び光を当てたことにあります。エリントンはアメリカに在る、実に多くの種類の音楽を融合してゆきました。コメディーショーの歌やラグタイム、歌謡曲、ブルース、そしてヨーロッパ音楽の伝統的スタイルをアメリカ流にした音楽、こういったものを統一感あるスタイルにまとめ上げてゆきました。技術的には大変難しいものの、表現されるものや、曲に込められたメッセージといったものが、ストレートに、そしてシンプルに伝わってくる音楽は、20世紀の、所謂「芸術音楽」が大きく欠いていたものです。 

 

(語句・文法の要点:数字は行数) 

8.The extent of his innovations, still not fully recognized, was such as to redefine the various forms in which he worked彼の革新性の規模は、未だに全ては認知されていないが、彼が取り組んだ様々な音楽形式を再評価しようというものだった:分詞構文(recognized) 不定詞(to redefine) 前置詞+関係詞(in which) 

 

エリントンの偉業で、最初に挙げられるものは、初期のレコーディング曲に用いた、演奏時間3分の音楽形式を確立したことです。1920年代、レコーディングは蓄音機を用いました。片面わずか3分間。エリントンの、演奏時間の比較的短い小品の代表作は、「ココ」(1939年)、「コンチェルト・フォー・クーティ」(1939年)、それから「ハーレム・エアシャフト」などが挙げられます。 

 

エリントンの、ブルースの曲作りは、その形式やハーモニー、メロディの作り方に新しいコンセプトを生み出しました。それらが見られるのが「ムード・インディゴ」、「ディミニュエンド・アンド・クレッシェンド・イン・ブルー」(1937年)、そして「アド・リブ・オン・ニッポン」(1964年)です。 

 

また、エリントンはロマンチックバラードの作曲にも、優れた才能を示しました。映画「ソフィスティケイティド・レディ」の中の音楽(1932年)、そして、エリントン楽団でフューチャーリングした名手達との作品。ジョニー・ホッジとの「ウォーム・バレー」(1940年)、ローレンス・ブラウンとの「愛への憧れ」(1936年)、それからショーティ・ベイカーとの「オール・ハート」(1957年)など、枚挙にいとまがありません。 

 

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エリントンの書いた音楽は、小さな所ではダンスホールや芝居小屋、ナイトクラブといった所、広い所では映画館、劇場、コンサートホールから大聖堂まで、あらゆる場所で演奏されました。映画音楽では「アスファルト・ジャングル」(1950年)、「或る殺人」(1959年)を手掛けています。全世界で年間300回近くコンサートを開催し、聴衆を熱狂させました。今の時代の「ワールド・ミュージック」の動きを先取りするかのように、常にツアーで世界中を回る中で見つけてきた、モチーフや音楽のスタイル、雰囲気といったものを採り入れた作品を生み出しました。「極東組曲」「アフロ=ユーラシアン・エクリプス」(1971年)などがそれです。 

 

(語句・文法の要点:数字は行数) 

14.Anticipating the present-day movement embracing “world music”, he incorporated themes, ideas, and feelings he picked up in his constant touring into works like “Ten Far East Suite” and “The Afro-Eurasian Eclipse” (1973)今日の「ワールド・ミュージック」という考え方を歓迎している動きを予測して彼は彼の絶え間ないツアーで採取した主題、形式、そして曲想を「極東組曲」や「アフロ=ユーラシアン・エクリプス」のような作品に取り入れた:分詞構文(Anticipating) 現在分詞(embracing) 関係詞・省略(feelings [that] he picked) 

 

デューク・エリントンは1974年5月24日に亡くなりました。作った曲、録音した演奏に加えて、輝かしい人生と業績をつづった自伝「音楽、我が恋人」が、1973年に出版されました。 

 

エリントン/ストレイホーン版の「くるみ割り人形」の曲名について 

 

 

まずは「フローラドール達のダンス」。これは二つの名作のタイトルを組み合わせたものです。一つは、チャイコフスキーの「花(フラワー)のワルツ」。もう一つは1957年の、ジャン・アヌイのブロードウェイの傑作「闘牛士トレアドール)達のワルツ」。アヌイの方のタイトルも、ジョルジュ・ビゼーの名曲「闘牛士達の行進」(オペラ「カルメン」より)にインスピレーションをうけたものです。次に「ピーナッツ・ブリットル・ブリゲート」。チャイコフスキーの「小さな行進曲」を踊る子供みたいな感じが出ている名前です。「ボルガ」というのは、ロシアで一番長い川です。アメリカで言うと、ミシシッピ川ですね。「ボウティ」は「ブーティ」:「ブーティ・グルーヴ」(ワクワクする調和のリズム)です「シュガー・ラム・チェリー」なんて、ナイトクラブのカクテルみたいですよね。「金平糖」の大人版でしょうか。「トゥト・トゥト・トゥティ・トゥト」は、最初は「蒸気オルガン、トゥティトゥ トゥトゥティトゥ」というタイトルでした。チャイコフスキーの「葦笛」が、エリントンのサーカススチームオルガンに変わった、というところでしょうか。 

 

 

次回、第14回は、第2章の鑑賞の手引きとして、ここまで途中途中にでてきた、作曲家の生い立ちの説明等の、詳しい続きを見てゆきます。