「コープランド・オン・ミュージック」を読む

Doubleday & Company社の「コープランド・オン・ミュージック」を、原文と日本語訳の両方を見てゆきます。

「マルサリス・オン・ミュージック」を読む 第14回

第14回:鑑賞の手引き 

 

(146ページ) 

 

第2章:聴きどころをのがさずに:形式について 

 

古典交響曲 セルゲイ・プロコフィエフ作曲 71ページからの続き 

 

そしてプロコフィエフは、作曲と演奏旅行の両方の生活が始まったのです。その第一歩に選んだのが、初めてのヨーロッパツアー。プロコフィエフは、ロンドン、パリ、そしてローマを訪問しました。この頃の作品の多くは、大音量、複雑、そして不快感のある音楽が続きました。といっても全部が全部、そんな曲ばかりではありません。プロコフィエフは、軽めで解り易く、可愛らしくて茶目っ気すら感じさせるような音楽、そう、ヨーゼフ・ハイドンのような昔の作曲家達が作った音楽に対しても、大きな愛情を注ぎ作曲に取り組みました。実際、はじめて作曲した交響曲ロシア革命の最中、1917年に完成)に「古典」と名付けて、聴く人一人一人が、この曲が大がかりではない、うるさくない、バランスも変ではない、ということが、ちゃんとわかるようにしてある、というわけです。 

 

(語句・文法の要点:数字は行数) 

12.He then started a life of composing and traveling , making his first trips to Europe, where he visited London, Paris, and Romeそして彼は作曲と旅行の人生を開始し、初めてのヨーロッパへの旅に出て、そこで彼はロンドン、パリ、ローマを訪れた:分詞構文(making) 関係詞・非制限用法(where) 19.In fact, he gave his First Symphony (composed in 1917 during the Russian Revolution) the title Classical, to make sure that everybody recognized he was writing music that was not big and loud and out of balance実際、彼は彼の交響曲第一番(ロシア革命の最中の1917年に作曲された)に「古典的な」という題名を与えた、それは彼は大規模でもなく大音量でもなくバランが取れていないわけでもない音楽を書いていたとういことを皆が認識することを確実にするためだった:過去分詞(composed) 不定詞(to make)  

 

それから20年もの間、プロコフィエフは、仕事と暮らしの時間を、母国ソ連と外国で半分ずつ過ごしました。「ピアノ協奏曲第三番」と、あの御伽噺のようなオペラ「三つのオレンジへの恋」は、両方とも1921年にシカゴで初演されました。1923年から1930年代の中頃まで、プロコフィエフはパリを拠点としましたが、引き続きピアニストそして作曲家として世界を飛び回り続けました。1938年初頭の、ヨーロッパ・アメリカツアーを最後に、1953年3月5日に61歳で亡くなるまで、ずっとソ連に居を構えました。 

 

(語句・文法の要点:数字は行数) 

24.For the next twenty years Prokofiev spent as much time living and working outside the Soviet Union as he did inside his native land次の20年間プロコフィエフは自分の母国でそうしたのと同じくらいの時間をソヴィエト連邦の外で生活し仕事をして過ごした:同等表現(as much as) 分詞構文(living and working) 

 

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プロコフィエフは、作曲家として多くの作品を遺しました。オペラが8作品、交響曲が7曲、ピアノ協奏曲が5曲、バイオリン協奏曲とチェロ協奏曲が各2曲、ピアノソナタは9曲が重要な作品として評価されています。更には、多くの愛国心溢れるカンタータや、それから数多くの歌曲も残しています。プロコフィエフの有名な作品の中には、ソ連映画のために元々作曲されたものもいくつかあります。「キージェ中尉」(1933年)、「アレクサンドル・ネフスキー」(1936年)「イワン雷帝」(1945年)などがそうです。「アレクサンドル・ネフスキー」と「イワン雷帝」は、旧ソ連時代の偉大な映画監督、セルゲイ・エイゼンシュテイン(1898年生-1948年没)の作品です。これらの他にも、良く演奏される作品として、バレエの「ロメオとジュリエット」(1936年)や「シンデレラ」(1945年)、交響曲第一番「古典交響曲」、第五番(1944年)、そしてピアノ協奏曲の第三番、などが挙げられます。おそらくもっとも有名な作品は「ピーターと狼」(1936年)ではないでしょうか。この曲は、語り手と管弦楽のために作曲された音楽物語で、「管弦楽とはどんな編成なのか」を聴き手に紹介するような作品です。語り手が語る物語に登場するキャラクターに、それぞれ楽器があてがわれて、それらの楽器がキャラクターを表現するようになっているのです。主人公のピーターはバイオリンセクション、鳥はフルート、アヒルオーボエ、猫はクラリネット、おじいさんはバスーン、狼はホルンセクション、そして狩人達はティンパニ、といった具合です。 

 

(語句・文法の要点:数字は行数) 

23.Probably the most-played works of all is Prokofiev's tale Peter and the Wolf (1936) , for narrator and orchestra, which introduces the orchestra to listeners by assigning each character in the story to a particular instrument恐らく全ての中で最も演奏されるのは1936年に作曲されたプロコフィエフ語り部管弦楽のために書かれた物語「ピーターと狼」だ。これは物語の登場キャラ一つ一つを特定の楽器にあてがうことで管弦楽を聞き手に紹介する:関係詞・非制限用法(which) 動名詞(assigning) 

 

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「アイ・ガット・リズム」 ジョージ・ガーシュウィン作曲 76ページからの続き 

 

当時、ラジオの無かった時代、人気作曲達や、あるいは出版各社とも、楽譜の販売、そして有名アーティストへボードビルショーの舞台での演奏委託、こういったことによりビジネスとして成り立たせていました。アーヴィング・シーザーという、ガーシュウィンの初期の作品の作詞担当者は、当時を振り返り、「レミックスは素晴らしい所だった。いつも何かしらハプニングが起きていた。アーティスト達が集まってきては、自分達のライブ用にと、新曲を聴いていくんだ。まるでリハーサル現場そのものだったよ。みんなジョージに新曲を弾いてもらうのが大好きだった。何しろ、ジョージの弾き方は、だれにも真似できないからね。」 

 

(語句・文法の要点:数字は行数) 

1.In those pre-radio days popular composers and publishers made money in the music business by selling sheet music, and convincing star performers to feature their songs in their vaudeville acts on stageラジオ以前の時代だった当時は有名作曲家と出版各社は楽譜を売ったり有名アーティスト達に彼らの曲をボードビルショーの舞台で採り上げるよう促すことでお金を稼いだ:動名詞(selling convincing) 不定詞(to feature) 10.They all loved to have George play the new songs for them...because the way he played the piano was unique彼らはジョージに彼らの為に新曲をピアノで弾いてもらうのが皆大好きだった。なぜなら彼が演奏した方法は独自の物だったからだ:使役動詞+O+原型不定詞(have George play) 関係詞・省略(the way [that] he played) 

 

間もなくガーシュウィンは、自動演奏ピアノ用のロール紙に、演奏を落とし込んでゆくことで、稼ぎを増やしてゆきました。これらロール紙は、いわば、ガーシュウィン自身の、最初の演奏レコーディングというべきものです。しかし、レミックス社に四年間勤務した後、ガーシュウィンは流行歌を作って金儲けをすることにウンザリしてしまい、会社を辞め、ブロードウェイのショーで演奏するための、自分自身の曲を作り始めます。兄のアイラが、よく作詞を務めました。また、ガーシュウィンは、より演奏時間の長い、そしてよりクラシック音楽的な形式を持つ作品に、自分の音楽表現をこめてみようと望んでいました。既に10作品ほど、ショーやレビューを手掛けていた1924年、いわゆる「ジャズ協奏曲」を作曲する最初のチャンスが訪れます。即ち、これが大人気となる、ピアノと管弦楽のための「ラプソディー・イン・ブルー」だったのです。この曲と、後の作品の売り上げと上演により、ガーシュウィンは経済的に余裕が生まれ、短い残りの人生、ポピュラー音楽とクラシック音楽の両方を書き続けました。1937年7月11日、急性の、そしてあっという間に進行してしまった脳腫瘍ため、この世を去ります。享年38歳。世界的名声が絶頂の最中のことでした。 

 

(語句・文法の要点:数字は行数) 

13.Gershwin soon began to supplement his income by playing songs onto paper rolls for player pianosガーシュウィンは間もなく自動ピアノのためのロール紙に落とし込むように演奏することで収入を増やし始めた:不定詞(to supplement) 動名詞(playing) 21.He had written some ten shows and review by 1924, when he got his first chance to write what was called a “jazz concerto”彼は既に10のショーとレビューを1924年までには書き上げていた。この年彼は所謂「ジャズ協奏曲」というものを作る最初のチャンスを得た:過去完了(had written) 関係詞・非制限用法(when) 不定詞(to write) 関係詞・慣用句(what was called) 

 

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ガーシュウィンの作品の中で、広く演奏されているものとしては、他にも、ピアノ協奏曲へ調や、管弦楽のための素描「パリのアメリカ人」(1928年)などがあります。もっとも重要な作品の一つが、オペラ「ポーギーとベス」(1935年)。これはジャズのリズムを採り入れたものです。このオペラは、サウスカロライナ州の都市・チャールストンアフリカ系アメリカ人達の物語です。このオペラの中で使用された曲(「サマータイム」や「イット・エイント・ネセサリ・ソウ」など)や、ブロードウェイのショー、あるいはハリウッド映画など、20数作品以上もの中で使用された曲は、またたく間にジャズ・ミュージシャン達の定番曲となり、演奏され、インプロバイズされてゆきました。「アイ・ガット・リズム」もその一つ。元々は1930年のミュージカルコメディ「ガール・クレイジー」の中の曲で、初演時には、エセル・マーマン(1908年生-1984年没)が歌いました。32小節形式(AABA形式)のお手本のような曲です。この曲を聴く時は、特に、シンコペーションに注目しましょう。主題提示部・展開部(ブリッジ)を通して使われているリズムです。 

 

(語句・文法の要点:数字は行数) 

7.One of Gershwin's most important works was his opera Porgy and Bess (1935), which incorporated jazz rhythmsガーシュウィンの非常に重要な作品の一つは彼のオペラ「ポーギーとベス」(1935年) だった。これはジャズのリズムを採り入れた:関係詞・非制限用法(which) 

 

「コットン・テール」 デューク・エリントン作曲 

 

「コットン・テール」は1940年に作曲された、コーラスフォーマットの形式を持つジャズ作品です(第2章参照)。同じ32小節から成る五つのコーラスに注目して聴きましょう。最初の「A」が8小節、もう8小節が次の「A」、「B」(ブリッジ)に8小節、そして再び「A」 

に8小節。 

 

8+8+8+8=32 これが5回繰り返されます。 

 

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最初のコーラスは「アンサンブルコーラス」(全体合奏)。ブリッジにはトランペットのソロが出てきます。二番目のコーラスは「サックスソロコーラス」、ブリッジには金管セクションが加わります。三番目のコーラスはトロンボーンセクションが主役。ブリッジにはバリトンサックス、そして最後の「A」にはピアノが加わります。四番目のコーラスは、サックスセクションが始めから終わりまで演奏します。そして五番目のコーラスは金管楽器とサックスセクションとの間で交わされるコールアンドレスポンス(第2章、第3章参照)で始まり、「B」(ブリッジ)でトロンボーンが加わり、そして曲の一番最後の部分となる「A」で、最初の部分と同じように全体合奏によって締めくくります。 

 

(語句・文法の要点:数字は行数) 

1.The first chorus is an ensemble chorus (for everybody), with the bridge played by a trumpet solo最初のコーラスは全員が関わる合奏のコーラスで、ブリッジがトランペットのソロによって演奏される:分詞構文(with the bridge played) 

 

アメリカ」の主題による変奏曲   

チャールズ・アイヴス作曲 ウィリアム・シューマン管弦楽編曲  

83ページからの続き 

 

アイヴスが「アメリカ」の主題による変奏曲を作曲したのは、1891年。この時、アイヴスはまだ17歳。この曲は自分がオルガンで弾くために作ったものです。この、誰もが馴染みのあるメロディへの手の加え方は、時に、かなり拙いこともある、と聴いて感じた方もいることでしょう。アイヴスが亡くなって約10年後、ウィリアム・シューマンというアメリカの作曲家(1910年-1992年)が、この変奏曲を大変気に入って、1964年に管弦楽用に編曲をしました。この本の付録CDでは、小澤征爾指揮のタングルウッド音楽センター管弦楽団が演奏しています。 

 

(語句・文法の要点:数字は行数) 

12.Ives wrote his set of Variations on “America” (”My Country 'Tis of Thee”) in 1891, when he was only seventeen, for himself to play on the organアイヴスが「アメリカ」の主題による変奏曲(マイ・カントリー、ティズ・オブ・ジー)を作曲したのは1891年で、この時彼はたった17歳で、彼自身がオルガンで演奏する為だった:関係詞・非制限用法(when) 不定詞(to play) 

 

このCDの演奏には、主題、四つの変奏、そして終結部が出てきます。第一変奏では、メロディはミュートをしたトランペットが受け持ちます。(訳注・映像があるなら)そして、よく注意して演奏の様子に目を凝らし、耳を澄ませましょう。バイオリンパートが伴奏を弾いていますが、何と、弓の背中の部分(木の部分です、馬の毛の方ではなく)を弦に当てているのです!第二変奏では、弦楽器セクションがメロディを受け持ちます。これには木管セクションの方から、くすぐるような、手の込んだ飾りつけが聞こえてきます。第三変奏では、オーケストラを二つに分けて、このメロディを二回演奏します。それも輪唱(「こげよマイケル」なんかが、その一つですね)の様に、次々追いかけっこをしながら。第四変奏では、トランペット、テューバ、そしてティンパニが主役になりますが、雰囲気は打って変わって、炎のように情熱あふれるスペインの舞曲 - タンゴです。沢山の、カスタネットなどの打楽器も加わります。このCDでは、原曲を短くカットしてあり、ここから気取った、そして壮大なフィナーレへと進んでゆきます。 

 

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ハッピー・ゴー・ラッキー・ローカル  デューク・エリントン作曲 

 

「ハッピー・ゴー・ラッキー・ローカル」は、デューク・エリントンが1946年に「ディープサウズ組曲」(南部組曲)の一曲として作曲したもので、12小節ブルースというものが、ジャズの作品を作る上で非常に応用が効きやすい音楽形式であるという、素晴らしい一例です。まず注目は、曲の始まりとなる序奏部分。サックスのソロが描き出す機関車。のろのろ、ガタゴト、駅から駅へと、のどかな田舎を客車を引きながら、アメリカ南部の雰囲気たっぷりの汽笛を鳴らすのはトランペットセクション。そして、コールアンドレスポンスやリフ。ウィントン・マルサリス楽団の演奏で、もう何度も聞きましたね。 

 

(語句・文法の要点:数字は行数) 

21.Listen, after the opening introduction, to how the solo saxophone begins to paint a sound picture of a poky steam engine chugging from station to station through the countryside with its passenger cars, with the trumpets blaring a soulful train whistle序奏の後で、サックスのソロがどのようにノロマな蒸気機関車がガタゴトと駅から駅へと乗客用車両を伴って田舎の地帯を通って走ってゆくかの絵を描いているかを、それにトランペットパートが大きく鳴らすソウルフルな列車の汽笛を伴った状態で聴きなさい:不定詞(to begin) 現在分詞(chugging) 分詞構文・付帯状況(with trumpets blaring) 

 

(152ページ) 

 

列車を扱った音楽作品は沢山あります。アーサー・オネゲルの「パシフィック231」(1924年)やエクトール・ヴィラ=ロボスの「カイピラの小さな列車」(1921年)から、グレン・ミラーの「チャタヌガ・チュー・チュー」(1941年)まで、様々な作品があります。デューク・エリントンも多くの列車を扱った作品を遺しています。「チュー・チュー」(1924年)や「ロコ・マディ」(1972年)などです。あのスコット・ジョプリンも「大きな衝突マーチ」(1896年)という作品があります。不協和音を使って汽笛を、大音量の和音を響かせて衝突する様子を、それぞれ曲の中に使って表現しています。 

 

 

 

次回、第15回は、第3章の鑑賞の手引きとして、ここまで途中途中にでてきた、作曲家の生い立ちの説明等の、詳しい続きを見てゆきます。