「コープランド・オン・ミュージック」を読む

Doubleday & Company社の「コープランド・オン・ミュージック」を、原文と日本語訳の両方を見てゆきます。

「マルサリス・オン・ミュージック」を読む 第15回

第15回:鑑賞の手引き 

 

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第3章:スーザからサッチモ吹奏楽ジャズバンド 

 

ジョン・フィリップスーザ行進曲作品  95ページからの続き 

 

1892年スーザは海兵隊を退役しました自身の吹奏楽団設立のためです。それから40年間、1932年3月6日に77歳でこの世を去るまで、スーザバンドの為に作曲を手掛け、指揮をし、世界中を演奏旅行で廻り、音楽史上もっとも有名なバンドへと育て上げたのです。 

 

当時は吹奏楽団があちこちに立ち上げられた最盛期でした。ある新聞は、その数を全米で10,000団体位ではないか、とし、定期的な演奏活動を、全米のあらゆる規模の都市で繰り広げていた、といいます。演奏の場は、公の行事としての式典やパレード(1876年に沢山行われた、独立100周年行事も、その中の一つ)、観客を前にしてのコンサート、国や地域の物産展、博覧会、人々が休暇を過ごすリゾート地、遊園地、郡(自治体)の催し物、それから、ちょっとした遠出の先での演奏、などでした。あらゆるジャンルの曲が演奏されました。人々によく知られている愛唱歌、踊りの曲、讃美歌、ヨーロッパの大作曲家達の作品を抜粋したもの - モーツアルト、ベートーベン、ロッシーニヴェルディ、そしてワーグナーなど - 。そういった中でも、行進曲はとりわけ沢山演奏され、ジョン・フィリップ・スーザの作品の人気はダントツでした。 

 

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スーザの行進曲作品には全ての曲に二拍子の拍子感があります作品の大半は16小節単位のフレーズで区切られ個々のフレーズは大抵繰り返し演奏されますそして大抵どの作品にも中間部のフレーズがありますトリオと呼ばれ、曲中では他の部分よりも比較的穏やかに、そして、フレーズのキー(調性)も曲の出だしとは変えて(大抵は四度上げる)演奏されます。スーザは、その生涯で、136曲の行進曲を手掛けましたが、それに加えて、他にも多くの、舞曲、組曲、歌曲、そしてミュージカルコメディも10数作品あります(大半は、残念ながら「傑作」とはいかなかったようです)。比較的よく知られた行進曲を挙げてみましょう。「エル・キャピタン」(1896年)、「海を越えた握手」(1899年)、「無敵の鷲」(1901年)、「キング・コットン」(1895年)、「マンハッタン・ビーチ」(1893年)、「ナショナル・ゲーム」’(1925年)、「アメリカ陸軍砲兵隊」(1917年)、そして、その中でも最大の人気作品、スーザが自身のバンド・スーザバンドのコンサートの度に、少なくとも1回は演奏したという曲、それが「星条旗よ永遠なれ」(1896年)です。 

 

(語句・文法の要点:数字は行数) 

11.And almost always there is a middle strain, called a trio, which is less energetic and in another key (usually four notes up) from the opening strainsそしてほとんどいつも中間部の節まわしがある。それはトリオと呼ばれ、比較的エネルギッシュではなく、出だしの節回しから比べると別の調性(大抵四度上がる)である:過去分詞・非制限用法(called) 関係詞・非制限用法(which) 

 

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スコット・ジョプリンラグタイム作品   100ページからの続き 

 

ジョプリンの、自身のテキサス・メドレー・カルテットのために作曲した初期の作品は、どれも従来のよくある方法で書かれていました。しかし、1899年の「オリジナル・ラグ」で、ジョプリンの成熟した芸術性を世に知らしめます。当時の人々が驚いた、その創意工夫に溢れた美しい手法で、ラグタイムという、新しい音楽表現を、ジョプリンが完全に自分の物にしたことを、音にして見せました。「メイプルリーフ・ラグ」は大成功、100万部以上の楽譜の売り上げを達成し、このおかげで、ジョプリンは教育、研究、そして作曲活動へ打ち込むことが出来るようになったのです。 

 

それからの6年間、セントルイス在住中、ジョプリンは19もの珠玉のラグ、行進曲、そしてワルツを、ピアノ用に作曲しました。しかしジョプリンは次第に、コンサートホールや歌劇場で演奏する規模の、管弦楽曲を作りたいと思うようになりました。こういった大きな曲 - 「ラグタイムダンス」(1902年)、歌劇「一番大事なお客様」(1903年)、そして「トゥリーモニシャ」(1911年)は、生前、聴衆ウケは、あまりしませんでした。「トゥリーモニシャ」は、ジョプリンの時代には、まだ早すぎる作品だったのです。使用されている作曲技法もそうですし、主人公の女性も、勇敢で、頭が良くて、自立心がある、というものでした。ジョプリンの母親がモデルになったということです。残念なことに「トゥリーモニシャ」と「一番大事なお客様」の管弦楽版スコアは、今のところ残されたものは見つかっていません。ジョプリンは最後ニューヨークで亡くなりました。1917年4月1日のことです。享年48歳。晩年は「トゥリーモニシャ」の舞台上演をプロデュースしようと奔走する日々でした。 

 

(語句・文法の要点:数字は行数) 

22.Joplin died in New York City on April 1, 1917, aged forty-eight, after many struggles to produce Treemonisha on stageジョプリンはニューヨークで1917年4月1日に亡くなった、その時48歳だった、それは「トゥリーモニシャ」を舞台にかけるべくプロデュースするための多くの奔走の後だった:分詞構文・付帯状況(aged) 不定詞(to produce) 

 

1970年代に入り、ジョプリンの音楽は、ようやく再び日の目を見るようになりました。現在では、世界中の著名な演奏家やオーケストラが、頻繁に取り上げ、録音も沢山手に入ります。ジョプリンの没後、1976年に、ピューリッツァー音楽賞が贈られました。 

 

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「ハイ・ソサエティ」 ポーター・スティール作曲 

 

「ハイ・ソサエティ」は、ポーター・スティール作曲の、吹奏楽の為の行進曲で、1901年に出版されました。作曲の手法は、スーザの行進曲と同じです。二拍子の拍子感、フレーズが16小節で一区切り、トリオ、といったスーザの行進曲が持つ伝統的なスタイルは、そのままで、マーチングバンドが演奏するサウンドとは全く異なるジャズバンドの演奏が、ラグ、シンコペーション、そしてインプロバイゼーションを駆使する様子を聴いてください。 

 

(語句・文法の要点:数字は行数) 

3.But listen to how the jazz band makes it sound entirely different from a marching band march, by raggin', syncopation, and improvisation - even though it keeps the same two-beat feel, the sixteen-bar strains, and the trio of a straight march by Sousaしかしジャズバンドが、スーザによる真のマーチが持つ二拍子の拍子感、16小節一区切りのフレーズ、そしてトリオを維持しつつ、それをマーチンバンドの行進曲とは全く異なるように響かせるのを聴きなさい:関係詞(how) 使役動詞+O+原型不定詞(make it sound) 

 

「ウーピン・ブルース」 

 

ニューオーリンズ・ブルースの名作「ウーピン・ブルース」には、この本で見てきた、インプロバイズのあらゆる技法が出てきます。グルーヴ、ポリフォニー、テールゲート、コールアンドレスポンス、そしてリフ。曲中、10回のコーラス一つ一つに、こう言った手法が散りばめられているのを聴いてみましょう。 

 

ルイ・アームストロング  116ページからの続き 

 

1918年、ジョー・オリバーはシカゴへ移ります。当初アームストロングは、オリバーには同行せずニューオーリンズに留まりましたが、1922年、シカゴへ移り、オリバーのバンドへ復帰します。そしてここから、天才ルイ・アームストロングの伝説が始まります。この時からずっと亡くなるまで、アームストロングは行く先々で、人々の賞賛を受け、皆がアームストロングの真似をし、そして愛されたのでした。 

 

1924年、アームストロングは、シカゴにあるオリバーの楽団を退団し、ニューヨークへ移ります。フレッチャー・ヘンダーソン楽団へ入団するためでした。1925年までに、再びシカゴへ戻り、「ホットファイブ」あるいは「ホットセブン」などと、メンバーの人数によって名前を変えていったバンドです。「コルネット・チョップ・スーイ」は、その「ホットファイブ」がレコーディングした作品の一つです。 

 

(語句・文法の要点:数字は行数) 

23.By 1925, he was back in Chicago again, playing and recording with his own small groups, known as the Hot Five or Hot Seven, depending on the number of musicians1925年までに彼は戻って再びシカゴに居て、彼自身の小さなグループである、「ホットファイブ」あるいは「ホットセブン」として知られるミュージシャンの人数によって名前が異なるグループで演奏し録音した:分詞構文(playing and recording depending) 過去分詞・非制限用法(known) 

 

(156ページ) 

 

アメリカの大衆音楽の演奏解釈については、アームストロングに匹敵する音楽家は、当時は誰もいませんでした。アームストロングは、ジャズでソロを演奏する時に、どうやって理にかなったインプロバイゼーションをかけるか、の考え方を確立し、そのおかげで世界中にスウィング奏法が広まってゆきました。超一流のトランペットの巨匠であったことに加えて、アームストロングはジャズボーカルのスタイルを創り出した人でもあり、その表現の多彩さはフランク・シナトラやビリー・ホリデーに肩を並べるほどでした。 

 

アームストロングのトランペットのサウンドは、低い音から高い音まで、どんな音域も素晴らしいものでした。しかし何といっても、そのサウンドには、深みのある人間臭さと温かみがあり、それを聴いた多くの人々が、自ずとこう言うのです。「ポップスの演奏を聴けば、ひたすら気分は最高さ」。アームストロングはコンサートツアーを頻繁に行いました。晩年の20年間、アームストロングは、世界で最も有名な、そして世界で最も敬愛される一人となっていたのです。アームストロングが1971年7月6日に亡くなったことは、世界中でトップニュースになりました。 

 

(語句・文法の要点:数字は行数) 

14.The sound of his trumpet playing was brilliant in all registers, but most of all it possessed a deep humanity and warmth that caused many listeners to say, “Listening to Pops just makes you feel good all over.”彼がトランペットを演奏するサウンドは全ての音域で素晴らしかった。しかしとりわけそれは多くの聴き手に「ポップスを聴くととにかく気分が素晴らしくなる」と言わせる深い人間性と温かみを持っていた:動名詞(playing) 関係詞(that) 動名詞(Listening) 使役動詞+O+原型不定詞(makes you feel) 

 

アームストロングのレコーディング作品の内、要チェックは次の通りです。「ウェスエンド・ブルース」(1927年)、「ポテトヘッド・ブルース」(1927年)、「スウィング・ザット・ミュージック」(1936年)、「ベイスンストリート・ブルース」(1928年)、「アイ・ガット・ア・ライト・トゥ・シング・ザ・ブルース」(1933年)、「ルイ・アームストロング タウンホール・ライブ」(1947年)、「音楽自叙伝」(1957年)、「ザ・シルバー・コレクション」(1957年)、「ルイ・アームストロングデューク・エリントン、一つの時代のエコー」(1961年)、「ポップスのディズニー曲集」(1968年) 

 

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行進曲「マンハッタン・ビーチ」  ジョン・フィリップ・スーザ作曲 

 

ジョン・フィリップ・スーザ作曲の「マンハッタン・ビーチ」。1893年の作品です。当時結成されたばかりのスーザバンドが、ニューヨークのマンハッタンビーチ公園で開催したコンサートシリーズの、初回のオープニング曲として演奏しました。以降、スーザバンドは長年に亘り、この地で毎年夏にコンサートシリーズを開催したのです。 

 

付録のCDでは、「マンハッタン・ビーチ」は、タングルウッド音楽センターの吹奏楽団と、ウィントンの率いるジャズバンドが、交互に区切り毎に演奏しています。譜面通りに演奏するクラシック音楽としての吹奏楽用行進曲と、初期のニューオーリンズジャズの演奏スタイルには、関連性がある、ということが分かります。スーザが作ったフレーズが、ニューオーリンズジャズによって、ラグの効いたシンコペーションがかけられ、インプロバイズされてゆくのを聴いてみましょう。いかがですか?どちらも我が国(アメリカ)のテースト、どちらも楽しく、どちらも捨て難い、そう思いませんか? 

 

 

次回、第16回は、「インプロバイズ」と、紙に書かれた楽譜の違いについて、を見てゆきます。